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展覧会挿絵≒⽇本画
⾼畠華宵の大正イマジュリィ

ex-102 高畠華宵の大正イマジュリィ

2010年7月24日[土]~9月12日[日]

休館日=会期中無休
開館時間=午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)

 1888(明治21)年に愛媛県の宇和島市で生まれた高畠華宵は、画家を志し、はじめ、京都市立美術工芸学校日本画科や、浅井忠が創立した関西美術院などで、本格的な日本画や洋画を学びました。しかし、生活苦や家庭の事情などにより上京し、肉体労働に従事しながら画業に励んでいた1911(明治44)年、津村順天堂の「中将湯」の広告に描いたペン画が一躍、注目を浴び、以後は、グラフィック・デザインの分野で活躍。挿絵画家として広く知られることになります。

 オーブリー・ビアズリーの影響を受けたとされるシャープなペン画が、当時の印刷技術の革新にうまく適応したこともあり、大正時代に、『少女画報』、『少女倶楽部』、『少年倶楽部』、『日本少年』、『婦人世界』などの雑誌に挿画として描いた独特の美少年や美少女の絵は一世を風靡しました。

 高畠華宵は、雑誌のために描いた美人画の着物や洋服も自らデザインしており、それが時代の最先端のモードとして、広く世間にも受け入れられています。現在のキャラクターグッズの先駆とされる「華宵便箋」や「華宵封筒」が発売され、1928(昭和3)年の流行歌「銀座行進曲」には、当時の風俗として「華宵好み」という言葉が使われるなど、さまざまなメディアを通じて時代のファッション・リーダーの役割も果たしました。

 一方で、生涯を通じ、日本画や油彩画の制作も継続して行なっています。高畠華宵の初期の日本画は、当時の京都の日本画からの影響が色濃く反映されたものでしたが、挿絵で独自のスタイルを確立して以降、次第にモティーフや描法が両者の間で類似してきました。そこでは、使用される画材が異なるだけで、一見すると日本画か挿絵か区別がつかないような作品も見ることができます。洋画を学んで培われた堅実なデッサン力と、伝統的な日本画の修業で獲得した高度な線描の技術が、挿絵の制作においても遺憾なく発揮されたといえるでしょう。

 今回の展覧会では、高畠華宵大正ロマン館より、高畠華宵の挿絵と日本画の作品を一括して借用し、それらを対比的に展示することで、近代の芸術観において周縁部とされる挿絵などのグラフィック・デザインの作品と、正統的とされる日本画との間に密接な関係があったのではないかという観点を提示し、複製技術時代の芸術における線描の新たな可能性についても探る機会にしたいと考えています。

詳細情報
会場 小杉放菴記念日光美術館 展示室
主催 財団法人 小杉放菴記念日光美術館/日光市/日光市教育委員会
後援 大正イマジュリィ学会
協力 弥生美術館/株式会社 ツムラ/ジャパニーズゴージャスうたかた
出品協力:高畠華宵大正ロマン館
企画協力:株式会社 キュレイターズ
料金 一般700(630)円、大高生500(450)円、中学生以下は無料
※( )内は20名以上の団体割引料金
広報 「挿絵≒日本画 高畠華宵の大正イマジュリィ」展チラシ.pdf
「挿絵≒日本画 高畠華宵の大正イマジュリィ」展出品目録.pdf
お問い合わせ 小杉放菴記念日光美術館
〒321-1431 日光市山内2388-3
telephone:0288-50-1200