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展覧会栃木の南画Ⅱ
足利市立美術館コレクションによる
大山魯牛

ex-105 栃木の南画Ⅱ足利市立美術館コレクションによる大山魯牛

2010年10月23日[土]~12月12日[日]

休館日=会期中無休
開館時間=午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)

 このたび、小杉放菴記念日光美術館では、2004年に開催した「栃木の南画Ⅰ 栃木県立美術館コレクションによる石川寒巖」展に続く「栃木の南画シリーズ」第2弾として、足利市ゆかりの南画家・大山魯牛の画業をご紹介する展覧会を開催いたします。

 大山魯牛は、1902(明治35)年、東京市日本橋区米沢町(現在の東京都中央区)に生まれ、生後まもなく、父の実家のある栃木県足利郡足利町(現在の足利市)に転居します。1919(大正8)年、下野中学校(現在の作新学院)を卒業後、上京して、小室翠雲が主宰する環堵画塾で南画を学びました。はじめは雅堂と号し、日本南画院や帝展を中心に作品を発表、新進の南画家として活躍します。

 1935(昭和10)年、魯牛と改号してから、終戦を迎えるまでは、銀座の資生堂画廊において、3年連続して個展を開催するなど、充実した生活を送りました。戦後は、一時、画家としての活動もままならない時期を過ごしますが、1955(昭和30)年、作品発表の場を新興美術院へ移し、本格的な制作を再開します。そして、1995(平成7)年に93歳の生涯を閉じるまで、終生、南画と真摯に向き合い、南画家として制作を続けました。

 半世紀以上にわたる魯牛の画業において、その画風は、幾度となく変化していきます。中国絵画に倣いながら、柔らかな描線で細部まで丁寧に描き込まれた初期の山水画から、写生に根ざした堅実な作品、さらに戦後の、力強い線と色面が印象的な洋画風の作品から、抽象的な心象風景が展開する作品へと続く変化の過程には、南画における自己表現を模索する魯牛の姿がありました。その画風は晩年、自由で伸びやかな線による自娯の境地へとたどり着き、積年の辛苦も、独自の表現の確立へと実を結びました。
 今回の展覧会では、魯牛の故郷にある足利市立美術館が、開館して以来築きあげてきた大山魯牛のコレクションを中心に、初期から晩年にわたる作品を一堂に展覧することで、生涯を南画と共に歩んだ魯牛の画業に迫りたいと考えています。

 また、魯牛は、同郷であり、翠雲の門下の先輩となる石川寒巖と親交が深く、そのつながりから小杉放菴とも交流がありました。魯牛と寒巖は、1932(昭和7)年より、放菴が主宰する「老荘会」に参加しています。
 老荘会とは、漢学者・公田連太郎を講師に迎え、『荘子』、『詩経』、『文選』、『易経』などを学ぶ会であり、漢学者としての公田の資質を高く評価していた放菴の呼びかけにより1927(昭和2)年から始まりました。当時、田端にあった放菴の自宅に親しい友人を招いて開催され、太平洋戦争の空襲で田端の家が焼失する1945(昭和20)年まで続けられました。おもな参加者は、木村荘八、中川一政、岸浪百草居、岡本一平、外狩素心庵、森田恒友、石井鶴三、田沢田軒、石川寒巖、山中蘭径、佐藤功一、鹿島龍蔵、出光佐三、酒井杏之助、といった錚々たる顔ぶれでした。
 この老荘会が、魯牛の画風の変化の一過程において少なからず影響を与えていたことも指摘されていることから、老荘会と魯牛のかかわりについても改めて、検証していきたいと考えています。

詳細情報
会場 小杉放菴記念日光美術館 展示室
主催 財団法人 小杉放菴記念日光美術館/日光市/日光市教育委員会/下野新聞社
協力 足利市立美術館
料金 一般700(630)円、大高生500(450)円、中学生以下は無料
※( )内は20名以上の団体割引料金
広報 「足利市立美術館コレクションによる大山魯牛」展チラシ.pdf
「足利市立美術館コレクションによる大山魯牛」展出品目録.pdf
お問い合わせ 小杉放菴記念日光美術館
〒321-1431 日光市山内2388-3
telephone:0288-50-1200