小杉放菴記念日光美術館の非公式サイト

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2009/12/25

所蔵作品の紹介

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今関啓司《もの言はぬ野夫》 1925(大正14)年
紙・コンテ 35.0×25.2cm

今関啓司(いまぜき・けいじ 1893〜1946年)は、
現在の千葉県長生郡に生まれた画家です。

日本美術院研究所で絵画を学び、1916(大正5)年の第3回再興院展に
初入選。その後、小杉放菴らの設立した春陽会で活躍しました。

日本各地を放浪しながら数多くの油彩画や水墨画を描き、その融合を
目指しましたが、永い闘病生活の果てに戦後の混乱の中、死去しました。

《もの言はぬ野夫》は1925年の春、今関が32歳のときに描かれた素描です。

力強いタッチは、どこか孤独な感じのする男の存在感を
浮彫りにし、瞳に深みを与えています。

「野夫(やふ)」には、「田野に出て働く男」のほか、
「自分を卑下していう語」の意味があり、この男性は、
あるいは今関の自画像なのかもしれません。

この年、2月18日の日記に今関は書いています。

「俺れは又ひとりになりたい。俺れ自身内の土に還へりたい。
全き唯一なる世界へおちのびたい。無言の何ものにもふりかへり
見ない、俺れ自身内の道に」と。

この素描からは、今関の抱えていたこうした満たされぬ
孤独感、表現への飢餓感を感じとることができ、彼が優れた
素描家でもあったことを示しています。

参考:
『今関啓司展』(会場・千葉県立美術館、発行・今関一馬ほか、1985年)
『画家 今関啓司の日記』(求龍堂、1991年)

2009/12/25

所蔵作品の紹介

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小杉未醒《泉》 1925(大正14)年頃
油彩・カンヴァス 179.0×363.0cm

日光の美術館のシンボル的な作品であり、壁に埋め込まれて常に展示されて
いる、この小杉放菴の《泉》という油彩画は、大学闘争の舞台として有名に
なった、東京大学の安田講堂の舞台正面に描かれた壁画の習作です。

大正時代の末頃、安田講堂の建設の際に、日本の最高学府を代表する
建物にふさわしい壁画をということで、当時、壁画制作の第一人者と
評価が高かった小杉放菴に制作の依頼がありました。

小杉放菴は、この作品のような習作を何点も描いて準備を重ね、
講堂の壁画の制作に取りかかったのです。

天平時代の美人を思わせる3人の女性が泉のほとりでくつろいでいる
情景を描いた作品ですが、穏やかな色調で全体をまとめ、しかも、
めずらしい半円形の画面に、のびやかでありながら繊細な描写で、
ゆったりとした雰囲気を表現しました。

湧き出す泉は、知識の源として、新しい思想や研究を生み出す
大学を象徴しているとされます。

2009/12/15

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立面図