間島秀徳 Kinesis / 水の森−小杉放菴とともに−

間島秀徳氏の作品についての覚書

小杉放菴記念日光美術館 学芸係長 田中正史

  

 間島秀徳氏の制作は、主に日本画で使われるような画材と、大量の水、それに、自然の重力の作用によって行なわれる。
 まず、パネルに貼った麻紙を床の上に水平に置き、大型の噴霧器を用いて、たっぷりと水を撒く。水を含んだ麻紙が収縮し、表面に凹凸ができたところに、刷毛を使用して墨やアクリル絵具で全面を塗りつぶす。この作業によって、下地が整えられるとともに、紙の表面の凹凸に由来する若干の色の濃淡が、独特の文様として表出してくるのであるが、作者は、その文様からインスピレーションを受けて、以降の過程に取りかかるのだという。すなわち、最初に画面を一面に塗りつぶす作業は、通常の日本画や油絵などの制作工程におけるデッサンや、下図の作成に該当するのである。つづいて、一度、それを完全に乾燥させたあと、再び噴霧器で大量の水を撒き、連筆を使い、膠と水で溶いた胡粉や岩絵具、河原の砂、溶岩や大理石を砕いた粉など、粒子状の材料をドリッピングしてゆく。
 この時点で、パネル自体を縦、横、斜めへと傾けることにより、粒子状の材料が溶かし込まれた大量の水が、重力にしたがって麻紙の上を流れ落ち、その幾重もの痕跡を画面に定着させる。そして、このような作業を何度も何度も繰り返すことで、作品が完成されるのである。
 完成した作品の画面には、下地となった鮮やかな黒や青の色彩の上に、大小さまざまなサイズの粒子が重層的に積み上げられ、あたかも、立体感を持った地形図のような様相を示す。作品を見る者は、そこに、滔々たる大河の流れや、絶え間なく波濤が押し寄せる大海原、あるいは、激しく流れ落ちる滝や、太古から成長を続ける鍾乳洞の結晶、星雲の渦巻く銀河などなど、さまざまなイメージを想起し、さらには、観念的な自己の思いを投影してゆく。
 このような、間島秀徳氏の制作技法は、きわめて独創的であり、また、氏自身の絵画に対する確固とした考え方が反映されてもいると言えるだろう。同様の技法で制作された一連の作品には、「Untitled」「Water Works」「Kinesis」といった言葉に通し番号を組み合わせた作品名が付けられているが、間島氏は自身の個展( Kinesis 2005年9月6日〜24日 渋谷 ギャラリエ アンドウ)に際し、たとえば、「Kinesis」 について、以下のようなコメントを寄せている。

▼「Kinesis」 語源はギリシャ語にあり、運動、変化の意。生成(新たに生じる)と死滅(すぎさる)をかぞえることもある。キネステーゼとは、行動をするなかでの意識のこと。単に受動的に眼や耳から感覚をうけとるだけではなくて、積極的に意思して身体を動かして行動し、それと感覚的な経験とを合わせて外界の認識をつくりあげる。―哲学・論理用語辞典(三一書房)
制作においては、そこでのプロセスと同意に捉え、身体と水との関わりが作品を成り立たせています。(水によって描かれたその画面から、様々なイメージを感じとって頂ければと思います。)……間島秀徳

 それは、作品の制作過程における作者の主体的な意識や行為と、人間の思惑が及ばない客体としての自然界の偶然性という、全く正反対の作用を、重力にしたがう「水」を媒介とすることで融合させ、作者の身体性から発する感覚を、さらに外側の世界の認識へと展開させようとする、論理的に考え抜かれた、きわめて斬新な表現方法である。
 ドリッピングを中心したアクション・ペインティングではあるのだろうが、もちろん、ジャクソン・ポロックをはじめとする抽象表現主義の模倣などではない。絵画のシステム化を企てているなどという言い方をされることもあるが、絵画の技法におけるさまざまな制約をよく理解した上で、技術的な研究を重ね、たがいに矛盾するかもしれない方向性を止揚し、より高度な次元で綜合的にひとつの作品にまとめ上げている。
 一方で、実際に、その作品を目の前にして受ける感興は、意外と正統的というか、伝統的とも言える性質のものであり、感覚的に理解しやすいこともたしかである。
 間島秀徳氏の作品に印された”水”の痕跡は、色彩の変化や、粒子の堆積の有無と多少などにより、絵画における「図」と「地」の区別を、かなり明確に現わしている。
 ジャクソン・ポロックが、「オールオーヴァー」と称する「図」と「地」の区別がない均質な画面を作り上げる目的で、かなり意識的にドリッピングをコントロールしていたのとは対照的に、間島秀徳氏の場合には、制作のプロセスに過剰とも思えるほど大量の水を導入し、基底材を傾けて重力の作用を増幅させることにより、非常に不安定な環境を創出しているため、作者によるコントロールが画面に及びにくい。画面の上で偶発的な事象が起こりやすい状況をあえて作り出しているのだが、興味深いことに、その結果、かえって「図」と「地」の関係性がはっきりと際だたされることになった。間島氏の作品を離れた場所から眺めると、「図」と「地」の位置づけが正反対にはなるが、いわゆる、水墨画の「にじみ」や「ぼかし」から受ける印象と共通する感覚がうかがえる。
 作者や、あるいは、その作品を見る者たちが、画面に表出した抽象的な形態に、自らのさまざまな感情を投影すること自体、古来からの伝統的な水墨画においても、ごく普通に行なわれてきた。たとえば、大正期の日本が同時代のヨーロッパで起こった後期印象派やフォーヴィスムなど、個人の主観的な感覚や感情の表現を究めようとする芸術思潮を受け入れたときには、墨の「にじみ」が感情の表出に有効であるという観点から、水墨表現を中心とした南画が、一種の日本的なフォーヴィスムとして見直され、再評価されたこともあったのである。
 水と墨とを含ませた筆を紙の上で御しながら、画面に、「にじみ」や「かすれ」による「図」を生起させる水墨画と、筆を紙に接触させることなく、水の流れの痕跡として、画面に「図」を定着させる間島秀徳氏の技法が、表面上では、たいへんよく似た造形的な効果を上げていると言えるのでないだろうか。逆の見方をすれば、旧来の水墨画でも優れた作品にあっては、間島氏が噴霧器と自らの全身を駆使して行なっているのと同様の水との激しい格闘が、画家の腕と筆先において行なわれていることにほかならない。
 また、間島秀徳氏の作品に、より近づいて見るならば、迸る水の力に押し出され、部分的にうず高く堆積した粒子が、あたかも、氷河に削られた峨々たる山塊のような実在性を現わし、彫刻的な相貌を示していることも理解できるだろう。画面の上に存在する現実の粒子の堆積による立体性と、画面に現われた「図」によって仮想的に感じることができる立体感とが相まって、作品に深い奥行きを与えてもいるのである。
 溶岩を砕いたりした比較的に大きな石も、より細かい粒子に全体を包み込まれることで画面の上にしっかりと定着しており、その表面は、おそらく、粒子の中の大理石の粉や雲母などに由来するのであろうが、何百年、何千年と流水に洗われつづけてきた石のように艶やかで官能的な輝きを放っている。すなわち、画面に現われた「図」の形象の視覚的なおもしろさだけでなく、材料と技法に由来する触覚的な感興さえも「絵画」の枠組の中に取り込んでいるのである。これは、印象派以降の油絵の世界では、とりたててめずらしいことではないかもしれない。しかし、油絵とはちがって、水墨画をはじめとする水溶性のメディウムを利用した技法では、水を絹や紙に浸透させることで顕色材としての顔料を画面に定着させるため、本来、画面は画材の物質性をあまり感じさせることなく、平滑に仕上げられるはずである。現代の厚塗りの日本画では、岩絵具によるマティエールが強く意識される作品もあるが、それは、紙に浸透する水分を極力、排除することで可能になっているのであり、「ぼかし」や「にじみ」といった、水の流動性を利用した技法とは対極に位置する。にもかかわらず、間島秀徳氏の制作においては水を大量に使用し、その特性を十二分に活用して視覚的な「図」を描き出すとともに、これと直接に呼応するかたちで、触覚的な物質性を画面に現出させることに成功しているのである。
 そして、このように相反する条件をうまくまとめ上げ、歴史的な方法論の変遷を意識しながら、「絵画」というジャンルが成立しうるのかどうかというぎりぎりの位置で、それでもやはり、あくまでも「絵画」として制作していることも、作品の大きな魅力となっているのではないだろうか。
 ところで、間島秀徳氏は現在、これらの作品を、茨城県にあって日本第二の面積を誇る霞ヶ浦の西浦を望む、丘陵の上に構えた住居に隣接するアトリエで制作されている。美術雑誌のグラビアなどでも紹介されているように、このアトリエは霞ヶ浦の水辺を真正面に見据える傾斜地に配置され、アトリエの前から、作品の乾燥などにも使われる広々とした木製のデッキが中空に張り出している。アトリエの中にいても、デッキに出ても、つねに満々と自然の水がたくわえられた霞ヶ浦が目に入るので、当然、この地理的状況と大量の水を使用する作品の制作方法との関連性を詮索したくなるし、現実に、画家の潜在意識の中でも無関係ということはありえないだろう。
 しかし、地理的なことを問題にするならば、霞ヶ浦の眺望だけにとどまらない、この場所についての、もうひとつの別な可能性も提起される。それは、地図を見ているだけでは気が付きにくいのだが、アトリエ周辺の風土が実に豊かで、風情に恵まれた土地だということである。地図の情報だけでは、平板な干拓地のような土地が想像されるのであるが、実際に現地を訪れると、ゆるやかでありながら複雑な起伏に富んだ丘陵が湖の岸に沿って続き、その中に、雰囲気のある切り通しや神さびた古い社、それに、大小さまざまな古墳などが数多く点在しているのが目につく。アトリエのすぐ隣の公園に、6世紀初め頃の築造と推定され、内壁が赤く彩色された石棺やたくさんのめずらしい埴輪が出土した、茨城県内でも有数の規模を誇る前方後円墳が存在していることでも理解されるように、この周辺は古代から栄えてきた豊かな土地であったのだ。そして、この土地に深く根ざし、長い歳月に裏打ちされながらも、奈良や京都などとは趣を異にする独自の歴史感覚に培われた生活感が、初めての訪問者にさえ、ひしひしと感じられるのである。
 まさに、そのような環境のただ中で生活し、制作を行なっている間島秀徳氏の実感が、自身の身体性と水のイメージを媒介に、原風景として作品に反映され、独特な技術で確固とした絵画空間が形成された画面に、さらに重厚で深遠な奥行きと壮大な広がりを与えているのだと考えることも、十分に可能なのではないだろうか。

〈間島秀徳 Kinesis / 水の森−小杉放菴とともに−〉展の図録より

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